幕間のメモ帳

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2010年 03月 01日

花粉が飛び始めたようですね・・・

2月26日(金)タイプスプロデュース公演『夢の海賊』作:横内謙介、演出:ぱく・ぱんいる、出演:江畑浩規、内山絢貴、加藤雅也、松原ひろの、他 於:シアター・モリエール 

去年ご一緒した松原ひろのさん出演。弾けてました。

カルガリーオリンピック。

カーリング女子は予選で敗退した。残念ではあるが、カーリングという競技の面白さを発見できたのは大きな収穫、今後に期待したい。

期待の女子フィギュアスケートは、浅田真央ちゃんは銀メダル、下馬評通り、キム・ヨナが圧倒的な得点で金メダルを取った。しかし、浅田真央ちゃんの限界に挑戦する姿は感動的だ。進化して次回のソチでは、金を取って欲しい。安藤美姫5位、鈴木明子8位で、代表選手3人が入賞を果たした。

いずれにしても今回のオリンピック、金メダルはなかった。

先の事業仕分けで蓮方議員が「世界一を目指す必要があるのか」と言ってひんしゅくを買っていたが、やはり、オリンピックは金メダルが輝かしい。

先週の火曜日、いきなり鼻水が出た。そろそろ花粉症の症状が出てきた模様。憂鬱な季節到来である。これから、集中力が必要な時期だというのに、全く困ったものだ。

花粉は山から風に吹かれてやってくるようだが、

3月8日本番の、リーディング「山吹」の稽古が半分終ってしまった。

読み合せをしていて、これだ、という感じになかなかならない。掘れば掘るほど謎が出てくるし、俳優も鏡花の台詞に四苦八苦している。しかしながら、それだけの課題があるというのは、いい戯曲だという事でもある。今のところ演出者としての課題は、身体的表現の多いこの戯曲を、リーディングという形で、どう表現しようか、だ。演出者として腕の見せ所、と言いたいところだが。

明治以後、近代文学史の中で、鏡花が独自の路線を歩み続けた理由を、もう少し考えてみる必要がありそうだ。西欧化していく社会の中で、江戸情緒への愛着を持続させ、幽霊などという近代合理主義が切り捨てていったものを大切にし、社会から排除された階層にいつでも眼差しを向けていた、そういった鏡花の独自性をもう一度考えなければならない。芸者、社会の下層でしたたかに生きていった女達にも鏡花は特別な愛情を持って筆を取っている。鏡花の奥さん、すずさんは、芸者上りで、「婦系図」のお蔦のモデルにもなった方だが、実際にはそれほど高級な芸者ではなく、むしろ、二流三流の芸者だったということらしい。弱きものの視点でものを描き続けた鏡花らしい逸話だ。

鏡花の母親が、鏡太郎(のちの鏡花)8歳の時に亡くなり、それ以後、鏡花にとって死の世界は、恐ろしい魔物の世界というよりは、どこか懐かしい、身近な、けれども、行く事のできない、特別な場所になったようだ。

私も、幼い時に仲の良かったいとこの男の子が死んだ。私より2歳年上の彼は、もともと体に障害があったが、家が近かったのでよく遊んだ。

亡くなる数ヶ月前だったと思う。

記憶はあいまいで、父が家にいなかったから、平日だったような気がする午後、彼がひょっこりやって来た。耳に障害のあった彼は、うまく話が出来なくて、言わんとすることを理解するためには、こちらもよく彼の話を聞かなくてはいけないのだが、なんでも、雑誌の懸賞が当たったから、映画を見に行こうということらしい。急な話だったが、母に許しを得て、彼と二人で出かけた。ところが、連れて行かれた先は、音羽にある講談社という出版社。彼が当ったのは、講談社が主催するイベントで、そのイベントの中で、映画というより、テレビ番組のアニメーションを上演するということだった。雑誌とは「少年マガジン」で、それは、掲載されているマンガに関連しての催しだった。

そのマンガとは、「あしたのジョー」、そのイベントとは、ジョーのライバル、力石徹の葬儀だった。

寺山修司の劇団天井桟敷で活躍、のちに東京キッドブラザースを作り、晩年は作家柳美里の夫として有名な東由多加氏の発案だったらしい。

講談社の講堂の中央にリングが設置され、壁際には祭壇が作られていた。力石徹が死亡した原因をボクサーがリングで再現し、僧侶が読経して、亡きファイターを弔った。最後に、数週間後に放映が始まるテレビアニメの「あしたのジョー」第一話が上映された。

そこに集まっていたのは、大学生らしき年代の若者で、小学生二人連れの私たちはやや浮いた存在だったかもしれない。今でこそ、アニメの登場人物に関るそういった催しは取り立てて珍しいものではないが、当時はやはり、インパクトのある試みだったと思われる。

・・・その数ヵ月後、彼は、突然この世を去った。聴覚の障害に加え、小児喘息も持っていたようだが、ある晩、痰がからんで呼吸困難になり、医療処置が間に合わず、あっけなく逝ってしまった。

彼の家庭は、複雑で普段父親がおらず、日曜日に遊びに行った時、時折見かけるのだが、普段は、家にいなかったのだ。自分の家との違いを感じつつも、その意味するところを察するにはまだ私は幼かった。だが、葬儀に集まったおじやおばたちの話で、彼の家に普段父親がいない理由がおぼろげに分かった。

一人息子を失い、家庭という安らかな形がなんの前触れもなくなくなってしまって孤独な暮らしを強いられたおばさんは、しばらくの間、心が乱れていたようだった。その頃によく、私の母が激しくののしられていたのを記憶している。理由などない。母には私がいたからだ。なんだかやり切れない思いがした。

その後、いろいろあって、そのおばさんとはもうほとんど会わなくなってしまった。実は、今それほど遠くに住んではいない。というよりも隣接する地域にいるので、会おうと思えばすぐに会いに行く事ができる。だが、たとえ距離は短くとも心の距離が40年間埋っていない。おばさんは、もう八十代半ばのはずだ。
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by yugikukan | 2010-03-01 00:00 | 日記


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