幕間のメモ帳

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2010年 03月 08日

ブルース・リーの死亡的遊戯

3月6日(土)弾丸MAMAER公演『喪服の時間』作・演出:竹重洋平 出演:坂田久美子、中村哲人、染谷恵子、川崎清美、沢樹くるみ、瀬川新一、木村慎一、土田卓、田中晶、山口昌由、榎本舞、安藤純、小多田直樹、大曽根徹、丹羽隆博、宮下千恵、近藤哲也 於:なかのZERO小ホール
That's Entertainment!

いよいよ8日は、『山吹』の本番。少ない稽古回数だったが、演出者協会の仲間や先輩達との共同作業はとても刺激的だった。また泉鏡花という作家が、私たちに語りかけてくるものの深さに驚いている。

疲れた頭を休めようと、DVDを見た。『燃えよドラゴン ディレクターズ・カット版 2枚組』。これは、本編のほかに4時間半にも及ぶ特典映像が付いている。そのなかに『A Warrior's Journey』というドキュメンタリーがあって観てみたがこれがなかなか面白かった。
90年代半ば、ブルース・リーの幻の映画『死亡遊戯』の新たなフィルムやメモが発見されて、2000年に大串利一監督が、『Bruce Lee in G.O.D 死亡的遊戯』を、またブルース・リー研究家のジョン・リトルは、ドキュメンタリー『A Warrior's Journey』を製作した。そのどちらもが先のハリウッド映画『死亡遊戯』('78)を不出来を払拭する出来栄えだ。生前リーがどんな理念をもって映画製作に取り組んでいたのか、そして、『死亡的遊戯』はどんな映画になるはずだったのかがわかる。
映画の中で度々語られるブルース・リーの哲学は、自ら生み出したジークンドーの哲学です。人間の状態には三つの段階があるといいます。

(1)「白紙」の状態。(Partiality, 部分性)
闘い方を知らず、やみくもに殴ったり、本能的にかわしたりする素のままの姿。しかし、未熟だが、ありのままの自分自身でもある。

(2)「技」の段階。(Fluidity, 流動性)
鍛えられ、磨かれた技術は洗練されますが、自由な動きが制限されたり、直感(自分自身)よりも覚えたテクニックを絶対的なものとしてしまう可能性もある。

(3)「無」あるいは「自然のまま」の段階。(Emptiness, 空)
厳しい練習を経て、長い年月のもと、本来の自分に戻った状態。自身にとって有用なものだけが身体に残り、動きはごく自然に、流れる水の如く…。

『燃えよドラゴン』の冒頭で「感じろ!」と弟子に説く場面を思い出します。彼の映画でのアクションがかつて見たことのないようなユニークなものであったのは、このような理念があったからでしょう。

これが演劇においてはどうなのでしょうか。まずは①の状態、素人の面白さ。何かが出来るようになったと思うようになっても多分②の状態。私もまあ、このあたりかもしれません。時々③のレベルに到達しているのではと感じる名人に出会います。まさに「遊」の境地。遊戯空間もそういったレベルで芝居が作れればいいですね。

by yugikukan | 2010-03-08 00:00 | 日記


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