幕間のメモ帳

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2010年 04月 22日

変わるもの変わらないもの

今週の観劇作品】

4月19日(月)リーディング『真田風雲録』作・監修:福田善之 出演:関口晴雄、志村史人、斉藤淳、松崎賢吾、浅川陽子、竹内千恵、福原圭一 於:食事と酒の店 ふく 

4月23日(金)池袋小劇場公演『暗い火花』作:木下順二、演出:関きよし、出演:かとうみちよ、神本十兵衛、佐瀬佳明、前原礼子、山内榮治、山田たけし、渡辺美栄子 ほか 於:池袋小劇場
 

福田善之先生の『真田風雲録』と木下順二先生の『暗い火花』という二作品、ともに小さな規模ながら魅力的な公演だった。

劇作家が戯曲を通じて、社会に、文学に、演劇に、芸術表現に、さわやかに挑戦していたことが伝わってくる。その精神の晴れやかさが心地いい。ともにまったく色褪せていない戯曲であり、それをしっかり立ち上げた両カンパニーに好感を持った。


ところで、「ファミコン言葉」「バイト敬語」というのがある。

その代表格が、「よろしかったでしょうか」。他にも「~のほう」というのもある。それが重なると「ご注文、ハンバーガーのほうで、よろしかったでしょうか」

  「よろしかったでしょうか」・・・・・・・

ファーストフード店でよく聞くこの言葉。今注文しているのに何で過去形なんだ、と違和感を覚えてしまう。私の友人が店員に、その日本語間違っているからね、と食ってかかった者もいる。

何だか目の前の店員と向き合っている感じがしない。今目の前にいる私に向かって「よろしかった」と過去形で話しかけられると、今注文しているにも関らず、何かはぐらかされているような、今という時間のなかで向き合っている感じがしない。とても失礼な感じさえするのだ。

だが、この「よろしかったでしょうか」あながち間違いと断定できないらしい。ちょっと驚きである。

〈初めてたずねることでも、あたかも再度たずねるかのように、過去形で表現することは、忙しさで混乱してうっかりもう一度たずねてしまったり、既に別の店員が聞いていたりすることがあるために、このように言うのではないかとされるという見方がある〉

―ということだ。しかし、レジで向き合っているんだから、そんなわすかな時間さえも記憶できないほど、急がしいのか、あるいは私はその他大勢で、いちいち注文をインプットできない、と言われているような気がする。さらに、

〈もっといいサービスも可能・要望すれば可能なオプションもあるが、この程度でよかったか、という問いかけを行い、客に要望を出しやすくさせる、要望を吐き出させるタイミングを与えるという良心的な誘導尋問である〉

―という意見もあるらしい。それこそいい迷惑だ。選んだものを早く出してくれだ。

〈北海道から全国展開した居酒屋チェーンの接客マニュアルに由来したとする説も有力である。北海道方言には、「これで間違いなかったかい(これで間違いないですか)」のように、過去形をとることで断定的になるのを避けてぼかす表現があり、接客業では、この表現が「おかしな用法」として話題になる前から普通に用いられていた。〉

―この過去形で接客するというのは、北海道だけでなく、北陸でも多用されているということだ。北海道では過去形を使うのが丁寧な表現となるらしい。実際に北海道では、電話に出た人がいきなり「佐藤でした」のように発話するそうだ。あいさつでも「おばんでした」のように言う。また愛知県でも過去形を丁寧な表現として使っているそうだ。

まだある。鳥取県倉吉市で、自転車で豆腐を売りに来る業者がご用聞きのとき、「○○さーん、今日はよろしかったでしょうかな」と言ったり、金沢駅の土産物店の若い女性店員が「以上でよろしかったでしょうか」と言ったとの証言もある。

しかしだ。

関東圏で長い間生活してきた私にとって、今まで聞いた事のないこの接客用語は、にわかに受け入れがたいものがあり、それを聞くたびに体のなかで違和感を感じていることも事実だ。

受け入れがたいものを受け入れがたいものとして、その違和感には、しばらくこだわり続けたい。
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by yugikukan | 2010-04-22 09:26 | 日記


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