幕間のメモ帳

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2011年 06月 30日

演出言語のむずかしさ

演出家には、独特の言葉が必要だ。

それはテクニックなのかもしれない。

俳優との作業の中でどうやって演出の意図を伝えるかが問題だが、ただ自分のイメージを伝えるだけではいけない。


俳優はプライドの塊だ。

そのプライドと演出家はどう付き合うかが問題だ。

経験のある俳優には、多くを語る必要はない。

多くを語れば、俳優を信頼していないかのような印象を与えてしまい、俳優が機嫌を損ねることがあるからだ。

ベテランには、任せてみるのだ。

その方がいい結果が出る。


また、演出家は、作業の途中で俳優の内部で今、何が起こっているのかを理解できなくてはいけない。

演出家には、ふたつのタイプがある。

もともと俳優だった演出家とそうでない演出家。

多くの場合、俳優の経験のない演出家は、俳優の内側でどんな作業が行われているかを見抜けない。

的外れなことを言って、俳優の水面下での作業を妨げてしまうこともあるだろう。

俳優は、自分の中にある感覚が納得するまでは、なかなか行動に踏み切れないことがある。

そこを待てずに結果を求めてしまうと、俳優は自らの創造性を失って作業に実感が持てなくなってしまう。

形になっていなくてももうすぐできそうだなと、俳優の内側での作業を見守るのだ。


そのこととは別に、俳優の経験のある演出家は、俳優のサボタージュも見抜くこともできる。

そのときには、演出家は刺激的な言動で、俳優を活性化する必要がある。

演出家というと稽古場で俳優を怒鳴っているイメージがあるが、これは、作品の停滞にただ怒りをぶちかましているのではなく、俳優のからだと心を刺激していることが多い。

その演出家は、俳優の経験があるから、どういう言葉が必要なのか、実感がわいているはずだ。


ベテラン演出家が、若き演出志望者に演技の勉強、俳優修行の必要性を説いていた、というのはよく聞く話だ。

それは、俳優という非常にデリケートな存在と円滑に作業をしていくために必要だからだ。


最近、稽古場で演出をしていて楽しく感じることがある。

それは、私が俳優にとって、よき理解者でありつつ、鬼コーチにもなれる柔軟性を持ち始めたからか・・・。


「つぶやきと叫び」の稽古も最終コーナーを回った。

慎重かつ大胆に残りの稽古を楽しみたい。
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by yugikukan | 2011-06-30 12:03 | 日記


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