幕間のメモ帳

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2011年 07月 07日

「つぶやきと叫び」初日の感想から

友人から頂いた感想です。

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昨晩は「詩×劇」の舞台をありがとうございました。
とても良い仕事をされたと思い、
感じたことを書かせていただこうと思います。

ゆうべ私が一緒に行ったカトリック新聞の記者は、
この4ヶ月間に5回、被災地に行き、現地取材をしてきた女性です。

昨夜の公演終了後、歩きながら、彼女が全く突然に涙をこぼしました。
そして、「震災以後、時々、涙が出るんです」と言ったので、私はびっくりしまし
た。
彼女は知的で、精神的にも体力的にもしっかりと、ハードな仕事をこなしてきた人
で、そんなところを見たことがなかったからです。

涙の理由を、彼女自身も明確には説明できないようでしたが、
今年の復活祭の前夜(4月)、たまたま仙台でミサに出た時、
泣けて泣けて仕方なかったことを、初めて打ち明けてくれました。
食事の場に座ると、
津波の後の瓦礫の荒野に立った時の気持ちや、
現地の人たちから聞いた被災当時の体験談を
ぽつりぽつりと話してくれました。

彼女は昨夜の舞台を見て、自分の中の固まってしまっていた何かが
解放されるように感じた、と話していました。
「テレビのニュースを見ていても、こんなに心の奥が解放されて、話したくなったり
することは全然ないんです」と言っていました。
(彼女は演劇についてそれほど詳しい人ではありません。
まったく一般の観客で、そんな体験は初めてだったようです)

彼女と形は違うかもしれませんが、3月11日の体験を、
すべての日本人が、心やからだの奥深くに沈めて生きているように思います。
言葉にすることのできない激しい体験を。
その言葉以前の体験を「言葉」として生み出すことが、詩人=書く人の使命であると
いう当たり前のことを、昨晩の舞台を見て心底、実感しました。
そしてそれに声と肉体を持たせることが、役者と舞台人の仕事であることも。

素晴らしかったな。

圧倒的な力の前で、全く無力な自分を思い知ってしまった体験。
そこに生じる灼熱の怒りと、身が引き裂かれるような恐怖、傷、悲しみ。
それらの激しい感情と引き換えに、私たちは人間の「身のほど」を知ったように思い
ます。
正確な言葉を今、覚えていませんが、
「詩の礫」の中で、和合さんが、何度か“かく生きよ”という意味の言葉を発してお
られたと思います。
それらは、旧約聖書に何人も登場する、神から言葉を預かった“預言者”の言葉のよ
うに感じられました。

復興への道は、その「預言」が生まれた地点から歩み出すべきものだと、強烈に思い
ます。
そうでなければ、来た道をまたいつか繰り返し辿るだけではないか、と。
人間の身のほどを、腹をくくって受け止めた上での復興でなければ。

昨晩の彼女が、仙台のある神父から、
3月11日はどこで何をしていたか問われて、
答えた後に、「神父様は何をされていたんですか?」と尋ねたところ
「事務所にいたよ」とだけ答えて、明らかにそれ以上は話したくない様子だったそう
です。
この4ヶ月を被災地で生きてこなければならなかった人たちの中にこそ、
「言葉」にすることが極度に難しい体験があるのでしょう。
その人たちの心とからだの中の深い森は、どうなっているのでしょうか。
そこにまっすぐに光りが差し、触れられ、癒されていくことを祈りたい思いです。

その意味で、今回の舞台が被災地で上演されたら、
また大きな意味を持つようにも思いました。
それによって、この作品は必ず磨かれ、
普遍的な深みを増すものになるのではないか、とも感じました。
(「見たくない」と言う人も多いのかもしれませんが…。)

長々と失礼しました。
本当にお疲れ様。
今日もきのう以上の舞台になりますように。

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この舞台がこれからどういった道を歩むべきか、また、私たちの仕事が皆さんの心にどう届いたのか知りたいです。ぜひ、ご感想お寄せください。

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お待ちしております。
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by yugikukan | 2011-07-07 07:33 | 日記


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