幕間のメモ帳

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2011年 08月 08日

住めば都か 板橋

【今週の観劇作品】

8月5日(金)千賀ゆう子企画公演『平家を語る』~チェロとのセッションで語る「平家物語」原文の世界~ 構成/演出: 千賀ゆう子  出演: 加藤翠 木舘愛乃 清水周介 千賀ゆう子 笛田宇一郎(笛田宇一郎 演劇事務所) 村松真理子  楽士: 入間川正美〔チェロ〕
於:ストライプハウスギャラリー 



私は東京の文京区大塚で生まれた。10歳の時、埼玉県浦和市(現さいたま市)に移り、8年程いたが、そこを移って現在の東京板橋区泉町に来た。

ここに来たとき、父は48歳、今の私よりも少し若い、母は41歳だった。

移ってきてすぐに、進学はせず、演劇をやりたいと言って、父と大喧嘩をした。
一週間、話し合ったが、結局、父は首を縦にはふらなかった。それでも私は演劇をはじめた。

それからの私は演劇三昧、やがて妹は短大に通う。妹は、小中学校時代の同級生で東北大学に通う彼と遠距離恋愛をしていた。(それから10年ほどして彼らは結婚する)

板橋に来て数年後、父は体調を崩し仕事ができなくなった。

癌だった。

当時の癌は死刑宣告のようなものだったから、本人には告知せず、少し軽い病名にして、母が自宅で看護していた。

仕事は、退職はせずに、自宅療養ということにして長期休暇を認めてもらえた。
終身雇用が基本だったサラリーマンの古き良き時代ともいえよう。

陽のあたる居間の縁側で静かに庭を見ている父の姿が目に焼き付いている。

ある夜、父が吐血し、救急搬送され、そのまま入院した。

母、妹と私、家族三人交代で看病をしていたのだが、私が宿直のある夜、演劇を続けている私を、頑固一徹なところは親子だから似るんだな、と笑ってくれた。

それから、三か月ほど闘病したが、父は亡くなった。

親不孝なことに、私は父の臨終に立ち会えなかった。

その日私は、当番ではなかったので、ダンスの稽古場へ行き、稽古の後、仲間と軽く一杯やっていた。父が亡くなったのはちょうどその頃だったようだ。

当時は携帯電話がなかったので、緊急の連絡はつかない。母は自宅に何度も連絡したが、私を呼び出すことはできなかった。

ちょっと虫が知らせて、私が病院に電話をしてみると

「お父様は霊安室に行かれましたよ」

と看護婦さんに告げられる。

私は自宅に帰り待っていると、妹が病院から一足先に戻ってきた。

父の亡がらを妹と二人で待つ。

その間、ふたりでダビングしてあった映画を見ていた、ぼんやりと。

日が昇らぬ冬の朝、父が運ばれてきた。

正月は家に戻りたいと言っていた父だったが、それはかなわず、1月の下旬に無言の帰宅となってしまった。

サラリーマンとして生き、家族を養い、東京に家を建て、そして、その家にはわずか6年しか住むことができなかった父。

その無念はいかばかりか。

父亡き後、この家に私は母と二十年以上住んだ。

四十代だった母は、今は七十代になり、背中が丸くなって、ずいぶん小さくなった気がする。

はじめはどうもしっくりこなかった板橋だが、長く住んでいるうちに、いろいろな思い出ができた。楽しい思い出はあまり覚えていない。なぜか、悲しい思い出、切ない思い出の方がすぐに思い浮かぶ。

しかし、住めば都のたとえの如く、見渡せばなんともあか抜けない感じの板橋が、どうも肌に合ってきたのかもしれない。


突然だが、来週、私は転居する。


今住んでいる泉町からさほど離れていない前野町に。


というのも・・・〈つづく〉


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劇団銅鑼主催公演「継志ー板橋での戦争を語り継ぐ」

稽古絶好調!

一般公募の「板橋区民のみなさん」チームが、劇団員を食うほどの存在感を見せはじめ、仕上がりが楽しみです。

この板橋でも戦争があった。

今では風化しつつある戦争の悲惨さが、体験手記を通して、痛切に実感できることでしょう。

それは、かの東北震災の現在とつながることが多いことにも驚かされます。

ぜひご覧ください。

チケットは、劇団銅鑼 tel03-3937-1101 fax03-3397-1103
板橋区立文化会館 tel03-3579-2222まで。

遊戯空間のホームページから、篠本に申し込んでも大丈夫です。

皆様のお越しをお待ちしています。

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by yugikukan | 2011-08-08 22:03 | 日記


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