2011年 11月 15日
【今週の観劇作品】 11月10日(木)ぼっくすおふぃす公演『公園にて』作・演出:神品正子 於:SPACE雑遊 11月11日(金)U・フィールド+川崎市アートセンター共催<シリーズ太田省吾の世界・完結編>『トラベラー 旅する人々』テキスト:太田省吾、構成・演出:井上弘久、於: アルテリオ小劇場 11月12日(土)テアトル・シネマ + 解体社コラボレーション公演『ホテル・デュ(神)』演出・原案/ズビグニェフ・シュムスキ 『最終生活』構成・演出/清水信臣 於:森下スタジオ 舞台表現はどこに向かっていくのか。今週の観劇作品のかから受けた印象はまずそれだ。 観客。もちろん観客に対しての行為であることは間違いない。 しかし、その観客というものをどうとらえていくのか。 解体社の舞台は、観客というものを制度化された身体(清水氏は人体という)ととらえ、観客の身体の向こう側に透けて見えてくるものに、果敢に働きかけようとする行為にみえた。 太田省吾さんの舞台は、円の養成所に通っていた頃、「千年の夏」「棲家」という二本を見た。また最近では、榮夫先生とのコラボのベケットがあった。おととしは韓国でキムアラ演出の舞台もみた。その太田さんの転形劇場での仕事を引き継いで活動していたu・フィールドのラストステージ。俳優は観客席の後ろに、観客は舞台の奥に太田さんを感じたかもしれない。 新しいグループ、「劇団漕人」の活動が始まる。その初日に合流した。 与えられた場所を自分たちの創造活動の場とするにはどうしたらいいのか、何が必要なのか。 まずそこから考えはじめた。さらに主に西洋の演劇史を俯瞰して、いままで演劇というものはどんなことを行ってきたのかを検証することになった。来週から、まずギリシャ悲劇をリーディングする。 このグループ、皆40代以上のシニアグループで、あまり演劇的なこと知らないのだが、彼らとの活動を通じて、もう一度基本的なことから検証しなおす機会になりそうだ。 アルバムを開いた。生まれた頃から10代までの写真を見た。必要なことがあるので実家から取り寄せたのだ。 もっと懐かしいのではとも思ったが、それほどの感慨がなかった。 なつかしさというのは、まだその世界が自分の記憶の引き出しのわりと浅いところにある記憶に対してわく感情ではないかとも思った。自分の生まれたての写真。これを10代の頃見たときはもっと感動があった。今見るそれらはあまりにも遠い記憶。 そして、別のアルバムに挟んであった20才の頃、デートをした女性とのツーショット写真。その写真を見ても彼女の名前が思い出せない。もう二十年近く、意識しなかった存在だからだ。記憶の引き出しが多くなり、どこにしまったのかわからなくなっていることも多いのだろう。今から会ってみたいというようなことではないのだが、引き出しは探してみようと思う。でも名前は思い出すのに時間がかかるかもしれない。 そんな時、偶然にも高校の同級生から同窓会の連絡がきた。偶然にしては出来すぎた話で驚いた。何しろ、メールをくれたかつての友人は、ここ数日間に、アルバムを開いて記憶の引き出しから出したばかりの存在だったのだ。 私は高校卒業後、転居し演劇の世界にはいって、高校時代の友人とコンタクトを取っていなかったので、私はクラスの中では忘れられた存在だったかもしれない。彼は、遊戯空間のホームページからおとずれてくれた。ネットというものが普及してからこの手の方法で行方の分からなくなったものと再び交流する機会も増えていることだろう。 古いアルバム、同窓会、 自分の中の「時間」が不思議な融合を繰り返しているせいか、微熱が続いている。
by yugikukan
| 2011-11-15 12:09
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