幕間のメモ帳

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2005年 11月 04日

劇団東演×湖北省話劇院公演「臨時病室」

中国現代劇・日中演劇交流相互上演2 劇団東演×湖北省話劇院公演「臨時病室」、劇団東演を28日(金)に、湖北省話劇院を2日(火)に観た。

物語は、都市の病院、病室に空きがなく会議室が臨時の病室になり、そこに入院することになった、初老の男女と、看護婦の出会いと別れ、現代の医療制度での命とお金の問題が描かれる。中国版は作者・沈虹光女史による演出、日本版は、鈴木完一郎氏の演出。同じ戯曲を二つのバージョンで観ることができ堪能した。そのなかで、いくつか双方の違いを留めてみたい。

まず、装置の違い。日本版は、部屋の壁、扉など省略し、何もない空間に、男と女の二つのベッドをシンメトリに並べ、病室の冷たさを表現していた。無機質で殺伐とした環境の中で、初老の男女が、片寄せあって生きている感じ。暗転中、転換をする黒子たち(医師の扮装)に温かみのある表情を感じさせない。

対して、中国版では、同じく壁などが簡素化されたセットであったが、ベッドの並び方、柱の立ち方に空間の温かみを感じ、転換をする人々にも表情が感じられるつくりとなっていた。日本版は、広々とした空間の中に小さな人間がいる感じ。中国版は、人物がクローズアップされているように見えた。演出者の視点の違いが現れていたということだろう。

関連して、人物の造形にも、違いがあった。中国版では、男は、エリートで頑なな性格、根は優しいがそれをなかなかうまく表現できないといった男、同室の農村から来た女にうまくなじめない、その男女のすれ違いが、ドラマの前半をひっぱっていた。終始、眉間にしわを寄せたしかめっ面が彼の性格を端的に物語る。

日本版は、男がもう少しやわらかく描かれていて、男女のすれ違いよりも、老人対若き看護婦といった世代間の溝にドラマの対立要素が濃かったように思われた。ドラマの後半、女が院内で患者の洗濯を請け負ったり、空き缶などの廃品で、わずかなお金を得ていたことを知った看護婦が怒り、本人に末期がんであることを口走ってしまうというシーン、日本版では、看護婦の中にある患者に対する愛情と正義感、演じる女優の人間的な強さが感じられたが、中国版では、そのことが知れると自分が婦長にとがめられるといったことからのとっさの行動、そこには人間的な弱さが、表現されていたように思う。

ともあれ、日中、共に人間の生きる姿を真摯に見つめた名作という感を受けた。2004年北京小劇場フェスティバルで四部門受賞作品。

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by yugikukan | 2005-11-04 10:49 | 演劇 


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