幕間のメモ帳

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2008年 06月 22日

一週間前

ヒデオゼミの発表会まであと一週間。

今日は宝生能楽堂で、響の会公演の「隅田川」をゼミの仲間と見る。
隅田川のシテを泉鏡花の歌行燈ですばらしい謡で参加してくださった西村高夫さん。ワキはこちらもお世話になっている宝生欣哉さん。

さすがこの時期、同じ作品を、しかもプロの舞台を観るのはつらいものがある。

どう判断したらいいのか、評価は難しい。

「隅田川」という作品は、ストーリーのおもしろさだけで見せる作品はない。

シテの母親の亡きわが子を想う気持ちの深さが問題だ。

それをささえる技術は必要だが、最終的には深い鎮魂の魂がそこに現出できたかどうかだ。

私たちは技術は教わる。

だがその鎮魂の気持ち、役の精神は演ずるものの問題だ。

おそらく我々わざおぎの演ずる能は、その気持ちの深さをどれほど表現できたかどうかでしょう。


ところでちょっと困ったことがある。

今度の発表会、昼の部と夜の部の二回なのだが、

私は両方に出演していて、それぞれが違う役だ。

昼は能「隅田川」のワキツレ。

こちらは出番は少ないが、隅田川の演出が子方ありという方法。おすすめです。とにかく感動的!能になじみのない方にもお勧め。

夜の部は仕舞と素謡で出演する。

これもぜひ観て欲しい。篠本の声(素謡)とからだ(仕舞)を存分に披露いたします。

でも皆さんの多くは、どちらかひとつ観ればいいや、と思っていますよね、たぶん。

うーん。

でももし可能なら両方見てください。ぜひ

隅田川という能を、一夜のうちに子方あり・なしの両方の演出で見せるのはプロの舞台でもなかなかないのではないでしょうか。

難しいとされる子方なしバージョン、これもとても問題の多い、飲んで語り合いたくなる内容があります。

我々の能は、決して洗練されていませんが、逆に荒々しいドラマ性があるのではないかなどと勝手にうぬぼれています。能は江戸時代に武士のたしなみとなって、広がりつつも様式の完成がありました。

でも、もともとは猿楽田楽という下層階級の者達による芸能だったわけです。(朝鮮半島からの渡来人たちによるという説もありますが)

だから、はっきりいってうまいとはいえない僕らの能も、ドラマとしてのおもしろさの一端を伝えられるかもしれません。

みなさん、ぜひぜひ来てくださいね。

お待ちしていますよ。
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by yugikukan | 2008-06-22 02:28 | 日記


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