幕間のメモ帳

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2008年 06月 27日

開いてて、本当によかったか?

神奈川、埼玉、京都のコンビニが深夜営業を自粛という。

賛成です。

もうずいぶん前から、コンビニだけでなくさまざまな店が夜を徹して明かりを灯し、都市部は不夜城になっています。

convenience storeは、欲しいものが欲しい時に、いつでも手に入るということですが、人間の生活においてこれは本当に豊かなことなのでしょうか。

食欲をはじめ快楽追求の放置は、想像性の貧困化につながります。

かつて映画の好きだった少年は、街角の雨ざらしになったポスターを見て、映画の世界を想像し、物語をつくって楽しむことができました。一枚の写真からさまざまな物語を生み出し、想像の世界に旅立つことができました。

そこは現実の世界ではありません、心の中に広がる世界です。

バーチャルな現代のゲームのように、誰かが作ったもののなかに、自らがはまっていく世界とは違います。お金で買うことはできませんが、想像力が生み出した世界は、陳腐でも誰にも侵す事のできない自由な世界でした。

コンビニが地域の防犯の役割をしているから、深夜営業も必要との意見も聞かれましたが、
例えば
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いつも歩く旧中仙道ですが、道の両側に約10メートル間隔で街灯が立っています。
歩いてみて感じることは、

いくらなんでも明るすぎ!

文庫本の文字もはっきり読み取れます。

防犯は、コンビニなどではなく、地域での防犯活動を積極的に推奨して、地域活性化を図ってもいいと思います。実際、かつて活動していたコンビニのまったくない桧原村の山間では、地域住民のつながり、自治意識の強さを感じました。

旧中仙道のこの灯りは、現在の半分でも充分明るいはずです。電力の節約にもなります。

かつて闇は、人間に本能的な恐怖を思い起こさせたが、
闇のなくなってしまった街には、恐れを知らぬ人間の徘徊する。



ところで、


待ち合わせで、とあるビルの前で待っていると、どこからか鳥のさえずる声。

あたりを見渡すと、
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あれ・・・・?
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ツバメの巣です。都会の真ん中でけなげに生きている生き物の姿に感動。

そして、その巣の真下には、
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ひなが親鳥から取りそこなったえさのトンボを、今度はアリが運んでいます。

えらいぞ!

子供のころ、卓袱台で家族で食事をしているとき、米一粒落とすと、ばちが当たって目がつぶれると叱られました。食べ物の大切さ、それを作った者への感謝の気持ちを教えられえたのでしょう。

コンビニは商品陳列のために大量の弁当を毎日廃棄処分にしています。

それは商品提供者として、商売として必要なノウハウなのでしょうが、食という行為に対しての神聖さを忘れてしまった現代人の病だと思います。

生きとし生けるものを食するのは、命のリレー。



食肉偽装問題。

連日報道されるこの問題。

確かに豚を牛と偽ったり、産地をごまかしたりてはいけません。

その情報に値段がついている以上、その情報で高値をつける行為は、詐欺です。

しかし、そこで槍玉にあげられる者たちが、消費期限や廃棄のことについて

「もったいないから」

と発言していることも気になります。

まだ食べられる食品をゴミ箱のなかに捨ててしまうのは、米一粒のありがたみを教育された戦後を生き抜いた世代には、抵抗のあることです。

彼らが、そうであるとは限りませんが。

私もかつて、コンビニでアルバイトをしていた時に、毎日出る廃棄量の多さに、問題を感じざるを得ませんでした。

そんな消費期限切れの食品を有効利用している食堂があると言うのを聞いたことがあります。
そこで食べている人もそのことは知っているようでした。

資本主義社会においては、消費者優先でものを発想していかざるを得ません。

「ニーズに応える」ということが命題になっています。

その「ニーズ」、欲望が暴走しているのが現代社会だと思います。



人間社会の喧騒をよそにツバメの親は、今も巣にえさを届けているのでしょうか。
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by yugikukan | 2008-06-27 11:19 | 日記


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