幕間のメモ帳

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2009年 04月 27日

見えない客席

9日(木)四月大歌舞伎 昼の部 『通し狂言 伽羅先代萩』 於:歌舞伎座
仙台伊達家のお家騒動を描いたこの作品、玉三郎の政岡、吉右衛門の仁木弾正、仁左衛門の八汐と細川勝元、染五郎の民部など。

23日(木)同じく夜の部へ。『彦山権現誓助だち 毛谷村』『廓文章 吉田屋』『曾根崎心中』の三本。『曾根崎』は、坂田藤十郎丈のお初の1299回目だった。(翌24日が1300回記念公演)

26日(日)新国立劇場『シュート・ザ・クロウ』北アイルランドの劇作家オーウェン・マカファーティーの作品。工事現場、タイル職人たちの明日の見えない生活を何気ない会話で繋いでいく。四人の登場人部の描き方が類型的で、しゃべるテンポがパターンになっている傾向があり、会話に広がりを、人物造形に深みを感じなかった。確かによく出来た小品だが、これは新国立劇場のレパートリーとしてどうなのか。観劇後、北アイルランドという国も身近に感じられない。ロビーにささやかな展示物があったが、さみしいものだった。下北沢あたりで見たい作品。

歌舞伎座と新国立劇場の客席について、一言。

今回、両劇場の座席を客席の横にある席にした。歌舞伎座では、三階の西側、新国立劇場では、RB席。
どちらも客席の壁を背にする状態なって、舞台を横向きに観ることになる。歌舞伎座では、舞台に近くなる。そこが味噌なのだろうが、どちらの劇場でも、舞台全体が見えないという重大な欠点がある。特に歌舞伎座では、花道の芝居が全く見えない。新国立劇場では、舞台の上手の端で行われていることが見えなかった。

多くの人がそれを承知でチケットを購入するのかもしれない。しかし、そこに疑問を感じざるを得ない。

小劇場でも、柱があり観にくい席があったら、事前にそのことは知らせる。でなければ、制作者出て来い、というような騒動にだってなりかねない。

歌舞伎において、花道の重要性は、今さら言うまでもないこと。花道での登退場が見せ場になっていることもしばしば。なのに、そこは安い席ですから、見えないんですよと、暗黙の了解でも出来ているかのような状態。

歌舞伎はもともと江戸時代、庶民の観客が育てた芸能なのに、一階二階の高価な座席が優遇され、三階四階の客席に配慮が欠けている。松竹の歌舞伎は、いつのまにかセレブのための見世物になってはしないか。

かつて、歌舞伎など芝居は「観る」ものではなく「聞く」ものであったという。そんなことから、「声色や」などというのが出てきて、人気俳優の台詞回しを街頭で真似たりしていた。そんなものがでてくるところかもわかるように、芝居は、姿は見えなくても声が聞こえていればいいという発想があったかもしれない。それにしても・・・・。

歌舞伎座は、あと一年で改築されるということだが、新しくなった歌舞伎座では、見えない客席を作らないで欲しいものだ。

新国立劇場は、今まさに新作上演をしているのだし、小劇場は客席を自由に組めるのだから、見えない客席などあるのは、制作サイドの怠慢でないのか。劇場には、税金が投入されている。そして、納税している私はチケットを購入して、劇場へ。なのに、舞台が見えない。

こんな理不尽なことが、まかり通っていいのだろうか。
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by yugikukan | 2009-04-27 12:15 | 日記


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