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幕間のメモ帳

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2008年 06月 30日

今日も楽しい一日でした

アライブ世田谷下馬という老人ホームでの慰問公演。

出演者の熱演を観ながら、この3ヶ月間の成長ぶりに目を見張る。

やはり役者は場数をこなすことが大切、また再演を繰り返し、演技に磨きがかかるのだ。

そういうレパートリーを持った彼ら(シニアクラスの生徒さんたち)は幸せだ。

3月に初演した時とは、声の張りがまったく違っていてよかった。
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パンチカーペットを敷いただけのシンプルな舞台、照明効果のない場所で、1時間20分の上演時間でしたが、ホームのおじいさん、おばあさん、ほとんどの方が楽しんでいただけたようで、ほっと一安心。

観客の平均年齢、80歳ぐらいのなか、シェイクスピアが受けるのか、多少、不安がなきにしもあらずだったのですが、さすがシェイクスピア、そのおもしろさは時代をこえて、老若男女をとりこにするのですねえ。心配無用でした。

カーテンコールでは、出演の手拍子に観て下さった皆さんの手拍子が重なり、とても盛り上がりました。
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この企画、まったくのボランティアなのですが、とても楽しんでやっています。
今度の木曜にも、荻窪のホームに慰問に行きます。

演劇は、人の心を豊かにするものです。こういった活動は、演じる方にも誠実な気持ちがなければできることではありません。私たちの作ったお芝居を車椅子に乗ったおばあさんが目を輝かして観てくれる。これは何よりの喜びです。

家に帰ってくると、昨日と今日の疲れが一度に出たのか、ぐったりとなってしまいましたが、
心地よい疲れです。

明日からは7月21日の公演の稽古が本格的に始まります。

by yugikukan | 2008-06-30 20:09 | 日記
2008年 06月 30日

あー楽しかった!

20年の集大成。

終りました。

細かいことはいろいろありますが、

能舞台というとてもきびしい場に、

思いっきりからだを投げ出すことができました。
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今から、老人ホームへの慰問公演に行ってきます。

打ち上げでちょっと飲みすぎてしまい、しんどいですが・・・。

帰りのタクシーは宝生欣哉先生と一緒に。

いろいろ能にまつわるお話が聞けました。

それもよかった。



ご来場の皆様、雨の中、どうもありがとうございました。

by yugikukan | 2008-06-30 10:30 | 日記
2008年 06月 29日

いよいよ本番!

今日は、一期一会のハレの舞台。

でも、あいにくの雨。

これはいったい誰の涙のなのでしょう。

お客様の出足が悪くならなければいいのですが。


昨日はやや体調不良気味で不安もありましたが、どうやら大丈夫そう。

あとは何も考えず思いっきりやるだけです。


しかしながら、息つく暇もなく、明日も本番。

これは3月に発表した「真夏の夜の夢」を、世田谷の老人ホーム「アライブ世田谷下馬」でやります。

そのコーディネートしてくださったホームの山ノ下さんが先日、クモ膜下出血でお亡くなりなったと昨日聞かされた。まだお若く私と同世代という感じだったのに。

以前、東宝舞台に所属し、舞台にも立っていたとのこと。

この度の慰問公演にも深い理解を示して下さっていたので、本当に残念です。

ご冥福をお祈りいたします。


今日の舞台「隅田川」に向けて、今年はじめから、石原重治氏、望月通治氏らとパンフレット作成に動いていた。

今回の内容と、ヒデオゼミの資料として残せるものをつくった。

それを観に来てくださった方に見てもらえることも、楽しみです。

能をやってますといっても、いったいどんなことをしているのか、伝えきれていなかったが、榮夫先生が、どんなお考えを持って私たちの指導に当たっていたか、そんな作業の一端を世に残したいと思って作った。

いろいろな意味で今日はヒデオゼミの「オヒラキ」です。

by yugikukan | 2008-06-29 09:52 | 日記
2008年 06月 27日

開いてて、本当によかったか?

神奈川、埼玉、京都のコンビニが深夜営業を自粛という。

賛成です。

もうずいぶん前から、コンビニだけでなくさまざまな店が夜を徹して明かりを灯し、都市部は不夜城になっています。

convenience storeは、欲しいものが欲しい時に、いつでも手に入るということですが、人間の生活においてこれは本当に豊かなことなのでしょうか。

食欲をはじめ快楽追求の放置は、想像性の貧困化につながります。

かつて映画の好きだった少年は、街角の雨ざらしになったポスターを見て、映画の世界を想像し、物語をつくって楽しむことができました。一枚の写真からさまざまな物語を生み出し、想像の世界に旅立つことができました。

そこは現実の世界ではありません、心の中に広がる世界です。

バーチャルな現代のゲームのように、誰かが作ったもののなかに、自らがはまっていく世界とは違います。お金で買うことはできませんが、想像力が生み出した世界は、陳腐でも誰にも侵す事のできない自由な世界でした。

コンビニが地域の防犯の役割をしているから、深夜営業も必要との意見も聞かれましたが、
例えば
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いつも歩く旧中仙道ですが、道の両側に約10メートル間隔で街灯が立っています。
歩いてみて感じることは、

いくらなんでも明るすぎ!

文庫本の文字もはっきり読み取れます。

防犯は、コンビニなどではなく、地域での防犯活動を積極的に推奨して、地域活性化を図ってもいいと思います。実際、かつて活動していたコンビニのまったくない桧原村の山間では、地域住民のつながり、自治意識の強さを感じました。

旧中仙道のこの灯りは、現在の半分でも充分明るいはずです。電力の節約にもなります。

かつて闇は、人間に本能的な恐怖を思い起こさせたが、
闇のなくなってしまった街には、恐れを知らぬ人間の徘徊する。



ところで、


待ち合わせで、とあるビルの前で待っていると、どこからか鳥のさえずる声。

あたりを見渡すと、
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あれ・・・・?
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ツバメの巣です。都会の真ん中でけなげに生きている生き物の姿に感動。

そして、その巣の真下には、
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ひなが親鳥から取りそこなったえさのトンボを、今度はアリが運んでいます。

えらいぞ!

子供のころ、卓袱台で家族で食事をしているとき、米一粒落とすと、ばちが当たって目がつぶれると叱られました。食べ物の大切さ、それを作った者への感謝の気持ちを教えられえたのでしょう。

コンビニは商品陳列のために大量の弁当を毎日廃棄処分にしています。

それは商品提供者として、商売として必要なノウハウなのでしょうが、食という行為に対しての神聖さを忘れてしまった現代人の病だと思います。

生きとし生けるものを食するのは、命のリレー。



食肉偽装問題。

連日報道されるこの問題。

確かに豚を牛と偽ったり、産地をごまかしたりてはいけません。

その情報に値段がついている以上、その情報で高値をつける行為は、詐欺です。

しかし、そこで槍玉にあげられる者たちが、消費期限や廃棄のことについて

「もったいないから」

と発言していることも気になります。

まだ食べられる食品をゴミ箱のなかに捨ててしまうのは、米一粒のありがたみを教育された戦後を生き抜いた世代には、抵抗のあることです。

彼らが、そうであるとは限りませんが。

私もかつて、コンビニでアルバイトをしていた時に、毎日出る廃棄量の多さに、問題を感じざるを得ませんでした。

そんな消費期限切れの食品を有効利用している食堂があると言うのを聞いたことがあります。
そこで食べている人もそのことは知っているようでした。

資本主義社会においては、消費者優先でものを発想していかざるを得ません。

「ニーズに応える」ということが命題になっています。

その「ニーズ」、欲望が暴走しているのが現代社会だと思います。



人間社会の喧騒をよそにツバメの親は、今も巣にえさを届けているのでしょうか。

by yugikukan | 2008-06-27 11:19 | 日記
2008年 06月 25日

ヒデオゼミ発表会の作品解説

昨日は、夜の部をメインにした申合せがあった。能を演じるとうのは、これはもう独特の緊張を強いられるので、いろいろハプニングもありました。私もやっちまいました・・・。本番まであとわずか、気を引き締めて、がんばらねば。

能というのは、詞章が現代語ではないので、聞き取りにくかったり、源氏物語、平家物語、中国の古典など先行する作品からの引用も少なくないので、前情報があった方が、理解しやすい。

ので、このブログを見てくださっている方に、特別解説致します。

このページをプリントアウトして、能楽堂へ行こう!

用語解説

仕舞・・・曲の中心部や終局を抜き出して、装束やお囃子ぬきで、袴姿で舞う。
     今回の「羽衣」「殺生石」は、作品の最後の部分を舞う。
素謡・・・曲のはじめからおわりまでをシテ、ワキ、地謡などの役に分けて動きなしで謡う。
     役が地謡を兼ねることもあるが、今回は別々に謡う。

経正(あらすじ)
世阿弥作といわれているが不明。平家物語による。平経正は一の谷合戦で、討ち死にするが、それを憐れに思った仁和寺(にんなじ)の宮は、経正が生前に大切にしていた琵琶を仏前に供え、管弦講(音楽葬)を催して、経正を弔うように、僧都行慶に命じる。法事を行っていると、その夜更け、経正の幽霊が現れて、行慶と言葉を交す。経正は生前大切にしていた琵琶を取り、自ら弾じ楽しんでいたが、討死の無念がよみがえり、たちまち修羅道の苦に巻き込まれていく。経正はその恥ずかしい姿を見られまいと燈火を吹消し、闇の中に消えていく。

羽衣(あらすじ)
世阿弥作。白龍たち漁夫が釣りに出かける。長閑な春の海。海辺の三保の松原のとある松に美しい衣がかかっているので、白龍は取って帰ろうとする。そこへ天人が現れて、それは私の羽衣だから返してくださいと言う。いやだと言うと、それがないと天に帰れないのですと嘆き、空を懐かしげに見上げる。その哀れな様子に心打たれた白龍は天人の舞楽を見せて貰うのを条件にして衣を返す。天人は喜んで、月界の生活を語り、この松原の景色はそれに匹敵するほど美しい言って舞い、富士の山よりも高く、霞んだ空の彼方へ消えていく。

殺生石(あらすじ)
玄翁(げんのう)という道人(修行者)が奥州から都へと志し、那須野が原まで来ると、一人の女が現れ、そこにある石は恐ろしい殺生石だから近寄るなと注意した。その謂れを尋ねると、昔鳥羽院に仕えていた玉藻前が化生の身を見破られ、この原の草の露と消えたが、その執心が残って石となったと言い残し、その石の中へ隠れた。
そこで玄翁が石の霊に引導を授けると、石は二つに割れて野干(やかん、狐の魔物)が現れ、玉藻前になっていたのを見破られたので、野干の本体を現し、逃れてこの野に住んでいた所を三浦介・上総介の二人に退治され、残る執心が石となって今まで人の命を取っていたが、あり難い供養を受けたので、この後は悪事を為すまいと誓い、消えうせてしまった。

隅田川
当日配布するパンフレットにあらすじと詞章が掲載されています。
なんといっても、今回、二つの演出で見せるというプロもやらない無謀な方法での演能。
ビギナーには子方ありの昼の部が断然お勧め。(自分が出ているから特に)
それを見てから夜の部の方も見ると演出の違いがわかります。

まず能は一期一会というように基本的に一回しかやりません。演劇のように数日にわたって、興行することはありません。それは能がもともと神事であった名残でしょうか。しかも同じ日に続けてやるなどという事は、もう皆無に等しいのです。

作者の元雅に、父親の世阿弥が、「隅田川」は子供を出さない方がいい、とアドバイスすると元雅は、必要だといって師匠であり父親である世阿弥に反論しました。それを聞いて世阿弥は、演劇はおもしろければそれでいいから、いいと思う方法でやりなさい、と言ったいうやり取りが伝わっています。

その作者元雅の方法が昼の部、世阿弥の方法が夜の部です。
現在ではほとんどが元雅の方法で上演されています。
それはやはりすばらしい演出だからで、私もやっているとそれをひしひしと感じます。

逆に世阿弥の言う子方なしは、大変難しい方法で、プロもなかなかやりません。
それはうまくいかないと物足りない作品になってしまうからです。
私たちは榮夫先生にはこの難しいといわれる子方なしで習っていました。
先生のお考えがどれほど表現できるかわかりませんが、一見の価値ありです。

本番まであとわずか。

皆さんのお越しを心よりお待ちしています。

見所(客席)は自由席ですから、早めにいらした方がいいですよ。

by yugikukan | 2008-06-25 08:38 | 日記
2008年 06月 23日

旧中仙道 散策

板橋宿近辺を歩いていますが、環七にぶつかる上宿から仲宿までの1.2キロ、徒歩で15分、都営三田線板橋本町から板橋区役所前までのひと駅間に、やたらと米屋があることに気づいた。
まず、
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少し坂道を下ると、
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そのやや斜め前には、
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板橋を渡って、
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坂の途中に、
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坂の上には、
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なぜこんなに米屋が多いのか・・・。

江戸時代の宿場のなごりか。

米は江戸時代、専売制だったそうだが、何か関係があるのか。

調べてみよう。

(つづく)

by yugikukan | 2008-06-23 00:49 | 日記
2008年 06月 22日

歩くことについて

日々の生活にウォーキングを取り入れているが、歩いていて思ったこと。
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ゆっくり歩いている時、体重が足にのって膝の辺りに抵抗を感じる。

少し速度を速めると、膝の負担がなくなり、腰から下が車輪が回転するように加速する。

さらに速くしようとすると、後ろから腰を押すような負荷を掛けている。

もっと速くしようとすると、今度は背中を後ろから押す意識がうまれ、上体がやや前傾になる。

膝をゆるめ、上体が前傾になる状態―

今度はからだはその加速をしたときの状態のまま、実際の速度はゆっくりにしてみる。

おお!これは、能のスリ足をしているときと、同じだ!

からだの中に加速しようとする力とブレーキをかけようとする力がうまれ、速いのに遅い、遅いのに速い、不思議な気分になる。

たとえばそれは、光速宇宙船に乗っている感じか・・・。

(双子の兄弟の一人を光速ロケットに乗せて宇宙旅行をさせ戻ってくると、地上にいた兄弟は、宇宙に行っていた兄弟よりも老けているという、アインシュタインの相対性理論・・・聞きかじり・・・)

変速で歩行を繰り返す私を、地上を行き交う人たちは、宇宙からやってきた変人を見るような冷たいまなざしを向け通り過ぎていった。
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by yugikukan | 2008-06-22 12:58 | 日記
2008年 06月 22日

一週間前

ヒデオゼミの発表会まであと一週間。

今日は宝生能楽堂で、響の会公演の「隅田川」をゼミの仲間と見る。
隅田川のシテを泉鏡花の歌行燈ですばらしい謡で参加してくださった西村高夫さん。ワキはこちらもお世話になっている宝生欣哉さん。

さすがこの時期、同じ作品を、しかもプロの舞台を観るのはつらいものがある。

どう判断したらいいのか、評価は難しい。

「隅田川」という作品は、ストーリーのおもしろさだけで見せる作品はない。

シテの母親の亡きわが子を想う気持ちの深さが問題だ。

それをささえる技術は必要だが、最終的には深い鎮魂の魂がそこに現出できたかどうかだ。

私たちは技術は教わる。

だがその鎮魂の気持ち、役の精神は演ずるものの問題だ。

おそらく我々わざおぎの演ずる能は、その気持ちの深さをどれほど表現できたかどうかでしょう。


ところでちょっと困ったことがある。

今度の発表会、昼の部と夜の部の二回なのだが、

私は両方に出演していて、それぞれが違う役だ。

昼は能「隅田川」のワキツレ。

こちらは出番は少ないが、隅田川の演出が子方ありという方法。おすすめです。とにかく感動的!能になじみのない方にもお勧め。

夜の部は仕舞と素謡で出演する。

これもぜひ観て欲しい。篠本の声(素謡)とからだ(仕舞)を存分に披露いたします。

でも皆さんの多くは、どちらかひとつ観ればいいや、と思っていますよね、たぶん。

うーん。

でももし可能なら両方見てください。ぜひ

隅田川という能を、一夜のうちに子方あり・なしの両方の演出で見せるのはプロの舞台でもなかなかないのではないでしょうか。

難しいとされる子方なしバージョン、これもとても問題の多い、飲んで語り合いたくなる内容があります。

我々の能は、決して洗練されていませんが、逆に荒々しいドラマ性があるのではないかなどと勝手にうぬぼれています。能は江戸時代に武士のたしなみとなって、広がりつつも様式の完成がありました。

でも、もともとは猿楽田楽という下層階級の者達による芸能だったわけです。(朝鮮半島からの渡来人たちによるという説もありますが)

だから、はっきりいってうまいとはいえない僕らの能も、ドラマとしてのおもしろさの一端を伝えられるかもしれません。

みなさん、ぜひぜひ来てくださいね。

お待ちしていますよ。

by yugikukan | 2008-06-22 02:28 | 日記
2008年 06月 19日

痛い

再三お伝えしている能「隅田川」の話題です。

今回私はワキツレをつとめますが、この役ははじめと途中にやりどころがあるのですが、あとはほとんど舞台の柱のかげでじっとしています。

左ひざを立てた形のたてひざで、1時間30分のうち、1時間25分ぐらいはたてひざでじっとしています。

もちろんそこに居るということに意味があると思うのですが、

足が痛い!

だいたい15分から20分ぐらいでしびれてきて、あとはもう言うことをきかなくなります。

でも中盤でワキに呼ばれ、舞台に出ますが、それがもう完全にしびれている状態で、スリ足での歩行も自分が何をしているかわからない状態です。

地謡も正座のままなのでかなりきついです。でも痛みに伴ってからだを動かしては舞台上の演技を壊してしまうので、むやみに動くことはできません。

足のしびれはプロも同じだそうです。

能を見ていてじっとしている地謡やワキツレも能の後半になるにしたがって、苦痛を耐えているのが、なんとなくわかります。

流派よっては、何か足の痛みを緩和すために、スポンジなどを仕込んでおくこともあるそうです。

私たちも今までの発表会で、作品の演技と同時にこの足のしびれをどうするかが、問題になってきました。

今回はワキツレという役なので、立てひざでの長時間の辛抱が必要です。

舞台で恐い顔をしてじっとしていたらそれはもしかしたら、集中しているのではなくて、痛みに耐えているのかもしれません。

ウラ話でした。

by yugikukan | 2008-06-19 08:41 | 日記
2008年 06月 19日

旧中仙道 散策

最近、健康のためにできるだけ歩くことにしている。

自宅からJR板橋駅までのおよそ3キロ。

だいたい30分ほどの道のりを往復して、一日に約1時間の運動。

目標、3ヶ月で体重を5キロ減!

ところで歩いているのは、旧中仙道という歴史ある五街道のひとつだ。

日本橋から出発した中仙道のはじめの宿場町だったのが、板橋宿で、歩いてみると商店街には、面白い場所がたくさんある。

環七に近いところにある縁切り榎という史跡の前にある雑貨やさん。

どうもおばあさんがやっているようなのだが、その商品陳列が、これ。
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台所用品、針糸など手芸用品、さまざまな商品がひとつひとつ、紐でぶら下がっている。

そういえば子供頃、町のおもちゃやの店頭に紐でプラモデルがぶらさがっていた。それは店舗面積を有効に生かした陳列方法かもしれない。

でも今の時代にこの風貌の店にどれだけの人がやってくるのだろう。

売られているものは、100円ショップで売られているものとほぼ同じで、しかもこちらの方が高い値をつけているはずだ。

歩きながら、店の中をのぞくと、おばあさんのさびしそうな姿がうっすらと見えた。

by yugikukan | 2008-06-19 00:29 | 日記