幕間のメモ帳

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2011年 07月 12日

つぶやきと叫び 舞台写真

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撮影は宮内勝さんです。

原版の色合いの素晴らしさがこの画面ではお伝えしきれないのが残念です。

宮内さんには2001年の「曾根崎心中」以来、遊戯空間の公演をすべて撮って頂いております。

一度完成した舞台が、形を変えてよみがえる写真の数々にいつも驚かされます。


本番をご覧になっていない方のために舞台の状況を説明します。

前面中央にあるのは、原発建屋を彷彿させるオブジェ。
舞台の縁には波を思わせる装飾があります。

原子力建屋のオブジェから赤色、黄色で同心円が描かれています。
「詩の礫」を語る時、俳優はこの同心円の外側にいます。

俳優の衣装はさまざまで、傍らには鞄、ペットボトルなど小荷物が置いてあり、人々の「避難」を暗示しています。

俳優は、避難区域から遠く離れた東京に住む我々自身であると同時に、避難されている福島の方々の分身でもあり、そしてまた、今なお原発の危険に声を発し続けている和合さんの姿でもあります。

挿入された「礫」以前の詩作のシーンは、その円形の内側で演じられます。かつてそこには自由な大地があったことを忘れないために。



私たちがこのような扮装をして、「礫」を語るとき、その言葉は、今だに厳しい生活を余儀なくされている方々に、どのように伝わっていくのでしょう。

おそらくそれらは、無力な言葉であり、何の解決にもならない行為になってしまっていたかもしれません。

しかし、この事態に対して、誰かが言葉を発しはじめ、行動しはじめなければ、被災地はますます取り残されてしまいます。

「怒り」の感情を忘れてしまった物分かりの良い羊になってはいけないのです。



公演を終えてさまざまなご意見ご感想をいただいております。

衿を正して、前進していきたいと思います。

# by yugikukan | 2011-07-12 10:41 | 日記
2011年 07月 09日

新たな一日

劇団銅鑼主催「継志ー板橋で戦争を語り継ぐ」の稽古が今日から始まる。

これは、劇団銅鑼の女優、長谷川由里さんが、劇団の地元板橋で何かを、と考えて立ち上がった企画だ。劇団は東上線上板橋駅の近くにある。ここに移って10年以上経過しているようだ。

私自身、もうかれこれ30年以上板橋に住んでいるから、板橋で何かをしたいという気持ちはすでにあった。

劇団の制作、平野真弓さんが、そんな私たちを引き合わせてくれて企画が動き始めてのは、今年の初め。

ところが、3月11日、あの震災である。

板橋区民の方が書かれた戦中の体験をつづった手記を中心に構成するはずだったが、震災直後、この企画は色あせたものに感じられてしまい、企画そのものを考え直したほうが良いのではないか、と悩んだこともある。

しかし、よく読んでみると、そこにつづられた厳しい体験の数々は、まさに東北で苦しむ方々の姿に重なるものだった。

何気ない日常が壊れた時に顔を出す、非日常の恐ろしさ。

戦争や災害など人災であれ天災であれ、亀裂の入った時間を生きる人々の苦しみは、涙は、どんな時代においても通ずるものがあるのだろう。

この公演には、劇団銅鑼などの俳優と、板橋在住の公募で集まった一般市民の方々の共同作業となる。

どんな仕事になっていくのか、今、体に心地よい緊張感が広がっている。

# by yugikukan | 2011-07-09 11:57 | 日記
2011年 07月 08日

公演終了?

7日(木)は、マチネ、ソワレ2回の本番と、本番終了後にねじめ正一さん、和合さんとのアフタートーク、そして、打ち上げ。

アフタートーク、並びに打ち上げで、和合さんの礫創作のお話、打ち上げでは、この公演に対する感想なども聞けて大変充実した一日でした。

平日の二日間、短い公演期間でしたが、劇場にいらしてくださった皆様、どうもありがとうございました。

大変反響のある公演になり、本当にやってよかったと思います。

休む間もなく、8日(金)夜に、10日(日)に行われる日本演出者協会主催「フェニックス・プロジェクト」の稽古。これは「つぶやきと叫び」のダイジェスト版を行います。遊戯空間公演に出た7名ほどの出演者が協力してくれます。

さらに8月公演の「継志ー板橋で戦争を語り継ぐ」の稽古が、9日(土)から始まります。

ここ数日、まったく息が抜けません。

# by yugikukan | 2011-07-08 06:43 | 日記
2011年 07月 07日

「つぶやきと叫び」初日の感想から

友人から頂いた感想です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨晩は「詩×劇」の舞台をありがとうございました。
とても良い仕事をされたと思い、
感じたことを書かせていただこうと思います。

ゆうべ私が一緒に行ったカトリック新聞の記者は、
この4ヶ月間に5回、被災地に行き、現地取材をしてきた女性です。

昨夜の公演終了後、歩きながら、彼女が全く突然に涙をこぼしました。
そして、「震災以後、時々、涙が出るんです」と言ったので、私はびっくりしまし
た。
彼女は知的で、精神的にも体力的にもしっかりと、ハードな仕事をこなしてきた人
で、そんなところを見たことがなかったからです。

涙の理由を、彼女自身も明確には説明できないようでしたが、
今年の復活祭の前夜(4月)、たまたま仙台でミサに出た時、
泣けて泣けて仕方なかったことを、初めて打ち明けてくれました。
食事の場に座ると、
津波の後の瓦礫の荒野に立った時の気持ちや、
現地の人たちから聞いた被災当時の体験談を
ぽつりぽつりと話してくれました。

彼女は昨夜の舞台を見て、自分の中の固まってしまっていた何かが
解放されるように感じた、と話していました。
「テレビのニュースを見ていても、こんなに心の奥が解放されて、話したくなったり
することは全然ないんです」と言っていました。
(彼女は演劇についてそれほど詳しい人ではありません。
まったく一般の観客で、そんな体験は初めてだったようです)

彼女と形は違うかもしれませんが、3月11日の体験を、
すべての日本人が、心やからだの奥深くに沈めて生きているように思います。
言葉にすることのできない激しい体験を。
その言葉以前の体験を「言葉」として生み出すことが、詩人=書く人の使命であると
いう当たり前のことを、昨晩の舞台を見て心底、実感しました。
そしてそれに声と肉体を持たせることが、役者と舞台人の仕事であることも。

素晴らしかったな。

圧倒的な力の前で、全く無力な自分を思い知ってしまった体験。
そこに生じる灼熱の怒りと、身が引き裂かれるような恐怖、傷、悲しみ。
それらの激しい感情と引き換えに、私たちは人間の「身のほど」を知ったように思い
ます。
正確な言葉を今、覚えていませんが、
「詩の礫」の中で、和合さんが、何度か“かく生きよ”という意味の言葉を発してお
られたと思います。
それらは、旧約聖書に何人も登場する、神から言葉を預かった“預言者”の言葉のよ
うに感じられました。

復興への道は、その「預言」が生まれた地点から歩み出すべきものだと、強烈に思い
ます。
そうでなければ、来た道をまたいつか繰り返し辿るだけではないか、と。
人間の身のほどを、腹をくくって受け止めた上での復興でなければ。

昨晩の彼女が、仙台のある神父から、
3月11日はどこで何をしていたか問われて、
答えた後に、「神父様は何をされていたんですか?」と尋ねたところ
「事務所にいたよ」とだけ答えて、明らかにそれ以上は話したくない様子だったそう
です。
この4ヶ月を被災地で生きてこなければならなかった人たちの中にこそ、
「言葉」にすることが極度に難しい体験があるのでしょう。
その人たちの心とからだの中の深い森は、どうなっているのでしょうか。
そこにまっすぐに光りが差し、触れられ、癒されていくことを祈りたい思いです。

その意味で、今回の舞台が被災地で上演されたら、
また大きな意味を持つようにも思いました。
それによって、この作品は必ず磨かれ、
普遍的な深みを増すものになるのではないか、とも感じました。
(「見たくない」と言う人も多いのかもしれませんが…。)

長々と失礼しました。
本当にお疲れ様。
今日もきのう以上の舞台になりますように。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この舞台がこれからどういった道を歩むべきか、また、私たちの仕事が皆さんの心にどう届いたのか知りたいです。ぜひ、ご感想お寄せください。

この下のコメント欄をお使いになるか、または遊戯空間ホームページのお問合せページからどうぞ。

お待ちしております。

# by yugikukan | 2011-07-07 07:33 | 日記
2011年 07月 06日

「つぶやきと叫び」初日の朝

朝です。

初日の朝です。

本公演は、初日に小屋入りするという強行スケジュールなので、いつもよりあわただしい。

今日の演出家の仕事。

稽古場で成立していたことが、劇場で成立するのかどうかの確認。

劇場がプラスに作用する部分とマイナスに作用する部分が必ず出てくるので。

声の響きはどうか。小さな声はどこまで聞こえるか。大きな声はどのくらい残響するか。
死角のある客席はないか。どの客席が見やすくてどの客席がそうでないのか。
暗転はスムーズにできるか。全体のリズムが壊れないようにしなければならない。
照明は適切か。暗い時に役者は文字が読めるか(リーディング的な要素もあるため)
音響とピアノ演奏の絡み、バランスはどうか。
美術は意図したものなっているか。

などなど。

そして私は、劇団主宰者でもあるので観客席が一杯になるのかどうか、これがとても心配です。

和合さんの「詩の礫」の完全演劇化といっても過言でない今回の公演。

旧作との絡みを含めて、とてもいい仕上がりになっていると自負しています。

本番は今日と明日だけ。

まだ席はありますよ。

皆さん、劇場にぜひお越しください!

詳しくは遊戯空間ホームページで。

http://y.fantasia.to

# by yugikukan | 2011-07-06 05:37 | 日記
2011年 07月 04日

「つぶやきと叫び」稽古はあと一日

7月3日から3日間、下北沢の東演パラータという小劇場で最後の仕上げの稽古をしています。

地震から約4か月弱経過しましたが、これまではまさに激動の日々でした。

余震の続くなか、演劇そのものがどうなってしまうのか、続けることなどできるのか、そういったパニックに襲われた時期もありました。

放射能の報道に生きた心地がせず、空気を吸うのさえ、水を飲むのさえ、警戒しなければならなくなった日々。

そして、和合さんの詩を読んだ時の衝撃、そして、それを舞台にしたいという衝動。

まるで憑りつかれたように、企画を立ち上げ走り続けて、もうゴールのテープが見えるところまで来ています、たぶん。(最後まで油断はできません)

あとはがむしゃらに駆け抜けるだけです。


「詩の礫」の完全演劇化といってもいいような、忠実でありながら大胆な構成で、きっと皆さんの心に届く作品になったと思います。

チケットはまだあります

ひとりでも多くの方にお越しいただくことを願います。

7月7日は七夕です。

皆さん、劇場でお会いしましょう。



お問合せ・ご予約は、

tsubuyaki_sakebi@yahoo.co.jp

まで。

あるいは、遊戯空間ホームページをご覧ください。

# by yugikukan | 2011-07-04 21:54 | 日記
2011年 07月 02日

「つぶやきと叫び」追い込み稽古の稽古場は教会

新宿から中央線で30分ほどの立川駅からさらに南武線に乗って一つ目の西国立駅に降り、歩いて10分弱、のどかな風景の中に聖パトリック教会がある。

ここが1日からの稽古場だ。

ピアノのある広い場所を求めて、たどり着いた場所。

最後の晩餐の壁画を背景に語られる「詩の礫」は、とても深い祈りの気持ちを一同に与えた。



東北はものみな雪だろうか。
岩手県陸前高田では、おにぎり一個を四人で分け合って、一日を過ごしています。祈る。

東北はものみな雪だろうか。
山形の色々な街では、宮城県からのご遺体の火葬をしています。祈る。

東北はものみな雪だろうか。
津波の後で、妊婦の方が家族と一緒に屋根に居て、途方に暮れていましたが、水の上を畳が流れてきて、それにしがみついて助かったのです。祈る。

東北はものみな雪だろうか。
「僕は高台に立っている建物に居ました。車に乗っている人が流されていくのが見えました。その後、船が街にいくつも流されてきて、家をなぎ倒して、横倒れて、今も目の前にあります。」と年下の友人から聞いた。祈る。

東北はものみな雪だろうか。
石巻の避難所では、プールの水を湧かして、飲んでいるそうです。係の男の人はどこの世に、プールの水を湧かして飲んでいる人が居ますかって、泣いています。祈る。泣く。

東北はものみな雪だろうか。
南三陸では、全壊の家の周りで祖母の姿を探している家族がいる。祖母の財布のひもを見つけて、それだけで、みなで泣いて、喜んでいる。大事に、持っていこう。泣く。 

東北はものみな雪だろうか。
あるセブンイレブンの店長は、店を閉めることが出来ない、と言っています。「良かった、ここに居たの、生きてたの、嬉しい…」とみなで確かめ合う場所だから…。聖地。

「詩の礫」より

# by yugikukan | 2011-07-02 08:18 | 日記
2011年 06月 30日

演出言語のむずかしさ

演出家には、独特の言葉が必要だ。

それはテクニックなのかもしれない。

俳優との作業の中でどうやって演出の意図を伝えるかが問題だが、ただ自分のイメージを伝えるだけではいけない。


俳優はプライドの塊だ。

そのプライドと演出家はどう付き合うかが問題だ。

経験のある俳優には、多くを語る必要はない。

多くを語れば、俳優を信頼していないかのような印象を与えてしまい、俳優が機嫌を損ねることがあるからだ。

ベテランには、任せてみるのだ。

その方がいい結果が出る。


また、演出家は、作業の途中で俳優の内部で今、何が起こっているのかを理解できなくてはいけない。

演出家には、ふたつのタイプがある。

もともと俳優だった演出家とそうでない演出家。

多くの場合、俳優の経験のない演出家は、俳優の内側でどんな作業が行われているかを見抜けない。

的外れなことを言って、俳優の水面下での作業を妨げてしまうこともあるだろう。

俳優は、自分の中にある感覚が納得するまでは、なかなか行動に踏み切れないことがある。

そこを待てずに結果を求めてしまうと、俳優は自らの創造性を失って作業に実感が持てなくなってしまう。

形になっていなくてももうすぐできそうだなと、俳優の内側での作業を見守るのだ。


そのこととは別に、俳優の経験のある演出家は、俳優のサボタージュも見抜くこともできる。

そのときには、演出家は刺激的な言動で、俳優を活性化する必要がある。

演出家というと稽古場で俳優を怒鳴っているイメージがあるが、これは、作品の停滞にただ怒りをぶちかましているのではなく、俳優のからだと心を刺激していることが多い。

その演出家は、俳優の経験があるから、どういう言葉が必要なのか、実感がわいているはずだ。


ベテラン演出家が、若き演出志望者に演技の勉強、俳優修行の必要性を説いていた、というのはよく聞く話だ。

それは、俳優という非常にデリケートな存在と円滑に作業をしていくために必要だからだ。


最近、稽古場で演出をしていて楽しく感じることがある。

それは、私が俳優にとって、よき理解者でありつつ、鬼コーチにもなれる柔軟性を持ち始めたからか・・・。


「つぶやきと叫び」の稽古も最終コーナーを回った。

慎重かつ大胆に残りの稽古を楽しみたい。

# by yugikukan | 2011-06-30 12:03 | 日記
2011年 06月 29日

稽古は休み

火曜日は、昼間、講師をしている演劇教室で仕事をした後、
夜、日本演出者協会のある西新宿の芸能花伝舎に行き、まず、広報部のミーティングに出席し協会誌「D」の打合せ、一時間後、国際部のセミナー、ロシア特集のワークショップにも顔を出す。

帰り際、遊戯空間でいつもお世話になっている坂東富貴子先生にばったり出会う。富貴子先生は、来月上演の日本舞踊協会新作公演「かぐや」の稽古で連日花伝舎にいらしているようだ。

帰りの方向が同じなので、先生を赤塚まで車でお送りする。

その車中、「かぐや」の見どころや創作秘話、苦労話などを聞かせていただいた。
富貴子先生は、制作をやりつつ、台本も執筆したとのこと。

さぞやご苦労もおありだったろう。

舞踊(アート)と科学(サイエンス)のコラボレーション

と銘打たれた作品で、理化学研究所,宇宙航空研究開発機構(JAXA)などの協力を得ている。

巨大スクリーンに最新鋭の宇宙の写真が、和の殿堂「国立劇場」に浮かび上がるのだそうです。

さぞや壮観なことでしょう。


科学と芸術のコラボといえば、昨年お亡くなりになった免疫学者・多田富雄先生が主催しておられた「自然科学とリベラル・アーツを統合する会―インシュラ」が思い起こされます。

昨年、東京大学の安田講堂で行われたインシュラの会合に出席しました。
テーマは「食」。
手始めに五穀豊穣を願う三番叟が能役者によって舞われ、それから数時間、現代の農業、そして、食文化についての様々な考察が紹介されました。

なかでも、「松本農法」というものに興味をもちました。

松本農法は無化学肥料・無農薬栽培を基本とし、誰もが安心して食べることの出来る、作物本来の味のするおいしい農作物を作るための農法で、様々な微生物のはたらきを応用した完熟堆肥と無化学肥料を用いることで、土壌と作物自身の力を最大限に引き出すことができ、病虫害にも強いという特徴を備えているそうです。

さて、代表の松本明さんは宮城県石巻市に居を構えていたようですが、今どうされているのでしょうか。

多田先生は、その会合ののち、数週間後にお亡くなりなりました。

からだの不自由な先生が、キーボードから電子音で声を発していらっしゃったお姿、今でも目に焼き付いています。

# by yugikukan | 2011-06-29 03:51 | 日記
2011年 06月 28日

年末にはイプセンを

月曜日、日本演出者協会国際部の会議が午後からあった。

12月に行われる国際演劇交流セミナー中国特集の企画会議だ。

招聘するのは、中国国家話劇院の演出家で、中央戯劇学院教授、そして、国家一級演出家である呉暁江氏。

イプセンの作品を現代中国の動向になぞらえて演出しているということ。

「人形の家」「民衆の敵」「ヘッダガブラー」などが演出作品に並んでいる。

近代古典のテキストを現代的な視点で翻案するとどうなるのか、それをワークショップに参加する演出家に準備しておいてもらい、ショウケースとして発表する。ワークショップ参加者及び講師の呉暁江氏らと、それらの演出コンセプトについてディスカッションを重ねるという、なかなか面白そうな企画になりそうだ。


「詩×劇 つぶやきと叫びー深い森の谷の底で」の稽古はいよいよ終盤戦。

月曜日は、音楽演奏の藤田佐知子さん、音響の山田健之さんが顔をそろえ、この劇の音についての考察を重ねながらの稽古となった。

藤田佐知子さんとは、もう15年以上の付き合いで、僕が演出した和合作品すべてに音楽で参加してくれている心強いパートナーだ。

和合さんの作品に対して共通の感覚があるので、「さっちゃん、こんなの欲しい」「それをもうちょっとこんな風にして」などという演出のわがままに即興で答えてくれる。

感謝!

音響の山田さんとは、やはり十年ぐらいの付き合い。

はじめは、ある現場で僕は舞台監督だった。
数年後、演出家として、これは劇団東演の公演で。
さらに役者としても山田さんとご一緒したことがある。

そんなわけで山田さんも気心知れたライトスタッフです。

遊戯空間では、これまでに、佐知子さんの生演奏か、山田さんの音響効果で、音の世界を作ってきたが、今回はその二人に参加してもらった。

なかなかのコラボレーションが生まれそうで楽しみにしている。

# by yugikukan | 2011-06-28 08:20 | 日記
2011年 06月 26日

ロシアから来た演出家

日本演出者協会主催 国際演劇交流セミナー ロシア特集が東京ではじまった。

シベリアのミヌンスクドラマ劇場の演出家 アレキセイ・ペデコフさん、美術家スペトラ-ナ、ラマノワさん、女優オリガ・スメホワさんが来日し、今日はレクチャー、明日から三日間ワークショップが行われる。

演技と舞台装置の関係性を探る企画。舞台装置は演技にどういった影響を与えるのか。装置が変わると、演技はどう変わるのか。演技が変わると、装置がどう変わるのか。そういったことが、検証される。

レクチャーでは、手始めにチェ-ホフの「かもめ」について、過去の上演の演出プランが披露された。

舞台上にもう一つ舞台をつくり、劇中すべての登場人物たちが、そこでも演技をするという。

この中舞台は、「かもめ」をご存知の方には、すぐに察しが付くだろう。冒頭、トレープレフがニーナを使って劇を披露し、アルカージナやトリゴーリンに笑いものにされた場面、その場面で使われた舞台を他のシーンでも使ったわけである。

「人生は歩き回る影法師、あわれな役者だ、舞台の上で大げさに見得をきっても出番が終われば消えてしまう」(マクベス)「人間生まれてきたときに泣くのはな、この阿呆どもの舞台に引き出されたのが悲しいからだ」(リア王)。シェイクスピア作品の「世界劇場」という発想に基づくものだろう。

さらに、演出家は言う。

人間は誰でも人に認められたい、という欲望がある。だから、舞台に上がって演じてみたくなるものだ。また、人間はいつでも何かの役割を演じて生きている、そして、それを本人は自覚していないことが多い。

「かもめ」はワークショップでの教材になっている。ロシアといえば、チェーホフは国民作家だ。
そのチェーホフで評価をされたことのある演出家のワークショップ、古典的作品へのアプローチという意味でも興味深い。

明日からのワークショップ、俳優の演技が装置によってどう変わるのか、演出家にとって、なかなか興味深い企画、期待したい。

# by yugikukan | 2011-06-26 23:23 | 日記
2011年 06月 25日

「詩の礫」以前に書かれた今回の公演で挿入する詩

「詩×劇 つぶやきと叫びー深い森の谷の底で」では、「詩の礫」以前に書かれた和合さんの詩を五編、挿入しています。以下の通りです。本文も抜粋します。



「バンザイ、バンザイ、バンザイ」(第三詩集「誕生」より)

 なぜなら窓の外は晴天なのです 晴天が続いている 続いている おはようございます
 バンザイしなさいと教師 鋭い太陽の光が零れ落ち まず朝の連絡をします
 教室は晴天が続いていますが 大丈夫ですか バンザイしなさい と教師
 窓ガラスの心は割れていませんが ここには教室がありません

 

「蝶をおいかけてゆくうちに僕らは真夏の無人の住宅街に迷い込み、ひどく不安であるからインタフォンに話しかけるのである」(第二詩集「RAINBOW」より)

 家家の焦げた廊下には巨大な触角の巻かれる姿が
 映る 僕らは焦りながらも巨大な蝶を育てている
 ともすれば蛛の中心は巨大に貧しいタ暮れとなり
 僕らはあたまの後ろでおもいおもいに手足のない蝶を飛ばし
 町を愛しながらも
 僕らは単純に貧しいインタフォンの陳列を抱え込み過ぎた
 


「OCEAN」(第三詩集「誕生」より)

 私の恋人は目を覚ます、私は海の誕生していく姿を話
 し出そうとし、ロの中の海の傾きに気が付いた。太陽は、
 巨大な一篇を完全に書き終え、太平洋がひどく重要な
 真昼の言葉を叫び始める。私ではない津波が竜巻と共に
 押し寄せる。



「犬を探してください 探してくださいよ」(第三詩集「誕生」より)

 ほおら ほら 手と足とが引っ掛かり 水の法則は笑いながら狂ってゆく
 浜辺の乾燥した網に吊るされている火星の果ては大雨になっている 間違って
 ばかりの黄色い飛行機の青々とした影に尾行される犬 を尾行する犬



「WAR」(第三詩集「誕生」より)

 俺の胸の中のプルトニウムに折れ曲がったフォークを投げ込め 投げ込め
 聞き分けることの出来ない入道雲の衝突が ああ そら恐ろしい



第二詩集は1999年、第三詩集は、確か2003年(出演者に貸していて手元にない)発行なのに、とても暗示的です。

そこには、津波、原発事故、避難区域・・・そういったことを彷彿させるイメージが描かれています。

詩人の感性は何を感じ、このような詩行を生み出したのでしょう。

# by yugikukan | 2011-06-25 07:39 | 日記
2011年 06月 25日

公演のお問い合わせについて

和合さんのツイッターから、遊戯空間を検索してくださった方へお知らせ


ツイッター本文の問い合わせ先メルアドに誤りがありますので、ご注意ください。

正しいご予約・お問合せ先は、

tsubuyaki_sakebi@yahoo.co.jp
(和合さんの本文には最初のtが抜けていました)

です。皆様のご来場をお待ちしております。


日本演出者協会が主催する「被災地の芸術を支援する フェニックス・プロジェクト」が再び7月に開催されますが、そこに遊戯空間の「詩×劇 つぶやきと叫びー深い森の谷の底で」が、フェニックス・バージョンとして20分ほどに構成し直し参加することになりました。

6月は、和合さんにいらして頂いて、「詩の礫」を読んでもらいましたが、今度は、その「詩の礫」を私たちが語り演じます。

和合さんご自身の語った「詩の礫」は、真に迫っていました。本物の声がそこにはありました。
その迫力に圧倒されました。

では、私たちがそれをやるということはどういうことなのか。

代弁?

詩的な昇華はあるにしても、もともとは実話ですから、それを語るには勇気がいります。

私達には本当に語る資格があるのか、語っても演じても、説得力のあるものになるのか。

その答えは、まず、高円寺の舞台で出してみたいと思います。


全体が1時間35分ぐらいにおさまりそうです。

声の世界だけでその時間を、観客の集中をとぎらせないように持続させるのは、なかなか大変なことで、稽古場で奮闘している最中ですが、一人で語るのとはまた一味違った、面白い構成になったと自負しています。

地震を表現するために群読シーンを作りました。

そして、呟きを対話形式のドラマにアレンジした場面も作りました。

また、「詩の礫」以前に書かれた詩を5編挿入しました。

そのどれもが、「詩の礫」に絡んだ構成になっています。

今まで和合さんを知らなかった方にも、すでに和合さんを知っていた方にも、興味深くご覧になっていただけるのではないかと思います。

ご期待ください!

詳しくは、、http://y.fantasia.to 遊戯空間ホームページをご覧ください。

# by yugikukan | 2011-06-25 00:20 | 日記
2011年 06月 24日

東北の銘酒に酔う 居酒屋三陸宮古

「つぶやきと叫び」の稽古の後、気になっていた店に行ってみる。この夜のメンツは、梅治さん、増山の兄貴、横尾姉さん、美奈子、そして私の五人。

その店の名は、

「居酒屋三陸宮古」

都営三田線新板橋駅からすぐ、埼京線板橋駅からもさほど離れていない、白山通り沿いにある店で、店先から魚がおいしそうな雰囲気を醸し出している。

店内に入ると、大漁旗が壁に貼ってある。マスターがなじみ客らしき方と談笑している。
アットホームな感じ。

このマスターは、もともと三陸で漁師をしていたとのこと。
だから魚に対するこだわりが半端じゃない。

メニューは毎日変わるらしい。壁に手書きの札が20枚ほど下がっている。

その中から、さっそく刺身の盛り合わせを頼む。天然本マグロ、スルメイカなどが桶に入ってくる。飾りなどで量をごまかしていない。天然本マグロ、うーん、口の中で溶けるような味わい。美味!

青森産のにんにく焼きも絶品。中国産のそれとは違い粒が大きく、味もマイルド。

その他に、マスターお勧めの赤尾あじの干物も頼む。うまい!秘伝の漬け込み方をしているとか。

そして酒は「あさ開」の吟醸をいただく。

これがまたうまい。全国新酒鑑評会で12年連続金賞受賞中の岩手のお酒だ。

マスターは一升瓶をテーブルにどんと置くと、あとは勝手にやれという。

残った量で飲んだ分は分かるからと言う、ものすごい提供の仕方。

唖然。

冷やをコップに注ぎ、受け皿にこぼす。普段はその瞬間、店員がどのくらいこぼすのか、息をつめてみてしまい、サービスのおこぼれが少ないと、もっとなどと、催促してしまう。

でも、一升瓶を勝手にやってくれでは、そんなせこいことは考えずに、じゃんじゃんこぼすだけこぼして、リッチな気分が味わえる。

七分目ほどあった一升瓶を飲みきり、追加で注文。

しばらくしてから、サービスだといって、なすときゅうりの自家製漬物がどんぶりにてんこ盛りで出てくる。横尾姉さんが、ご飯が食べたいというと、マグロのせごはんが出てきたが、なんと頼まない私たちの分まで、これもサービス。

巷ではサービスといっておきながら、きちんと伝票についている、なんてよくある話だが、いざお会計は、

なんと一人2500円!

でました、ここも板橋価格。おそるべし板橋。

というわけで、第二稽古場が新たに一軒増えた夜でございました。

# by yugikukan | 2011-06-24 08:05 | 日記
2011年 06月 22日

詩×劇について もう一度

私は、言葉の劇にこだわって最近の演劇を展開している。

「言葉の劇」

俳優の体が日常的を超えるような言葉。

俳優の情念が沸きあがってくるような言葉。

俳優のDNAに訴えかけるような古えの言葉。

そういった言葉を求め、それらを手がかりに劇を作る。

泉鏡花がそうだった。私は遊戯空間以外のものも含めてここ数年、「草迷宮」「夜叉ヶ池」「天守物語」「山吹」「眉かくしの霊」を演出した。泉鏡花の言葉は非常に感覚的で、その縦横無尽な展開に演じ手の感覚が研ぎ澄まされていく。あたかも棘のある綱で、綱渡りをするようなしびれた状況に追い込まれていく。綱渡りをしているときに流れている音楽は、懐かしいメロディだ。鏡花の言葉は、撥ねつけておきながら、そのあとに微笑みかける女のように、なかなかこちらのペースにさせてくれない。

昨年は、中津川で浄瑠璃「絵本太功記」を演出し、恵那文楽とのコラボレーションを果たした。
(今年は仮名手本忠臣蔵を通しで上演予定)
これもなかなかの手ごたえだった。歌舞伎台本のように台詞とト書きが分割されていない、語りものの文体は、俳優の呼吸を強引に揺さぶり、俳優は、呼吸の浅さ、情念の貧弱さを思い知れなければならない。

「怪談牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」の三遊亭円朝は、明治時代、速記に記録され、それが言文一致体の基礎になったというのだから、今日の口語体を生み出したといっていいのだが、そこには、失われた江戸情緒があり、アスファルトに覆われた道路を剥がして、かつてここに土があったのだということを確認するような作業であった。

詩×劇における和合亮一作品もそれら同様、俳優の感覚を研ぎ澄まし、体の奥底にある情念をほとばしらさせ、ここではない異空間に連れ去ってしまう。

なぜ、そのような言葉を求めて劇を作っていたのだろう。

ある方が言っていた。最近の俳優は、体が痩せている。
それは、スリムでありプロポーションがいいというわけでは、もちろんない。

舞台という場を支えるだけの体がない、ということであり、そうであっても舞台に立つ俳優が多いということだ。

俳優の体が声が呼吸が貧弱な劇は、日常生活との境界線をあいまいにしていく。

自分自身の作ってきていた劇も含めてそんな演劇にカツを入れる劇。

それを言葉というものに軸をおいて作ってきたのだ。



8月18日は和合さんにとって「BIRTHDAY」でありながら「AFTER」であった。だから、これまでの和合さんの言葉の多くには、鎮魂の祈りが見え隠れしていた。

そして、2011年の3月11日は、和合さんの「REBORN DAY」となった。
数え切れない数の魂に向けられた和合さんの祈りは、かつてないほど深くなった。

そしてそこに怒りという感情が加えられ、和合さんの言葉は激しくなった。



私たち演劇人が舞台で言葉を発するとき、その言葉が今を語っている言葉だったら、あるいは、その言葉が血を流しながら発せられた言葉だったら、それを口にする私たちの口からも同じように、血が流れるのだろうか。彼らの痛みを受難のように引き受けることが出来るのか。

詩×劇も3月11日を境に、新たな段階に入っていかなければならないだろう。

# by yugikukan | 2011-06-22 23:58 | 日記